新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

過去の話① 2012年、はじまりの場所。

初回にも書いたが、私は某自治体でセンセイをしている。しかし、出身地は別の県である。もともとは何の縁もゆかりもない場所であったが、19歳の時にこの地と深く関わることとなり、現在はその時の恩返しの意味もこめて、ここで働いている。

 

19歳の春。私は、大学2年生だった。この年に、学科の授業で「体験活動」というものがあった。これは、大学のキャンパスがある自治体の小学校で、1年間アシスタントティーチャー(AT)としてお手伝いするというもの。毎週木曜日だけであったが、はじまる前からとても楽しみにしていたプログラムだった。当時は別に、センセイに絶対になろう!と思っていたわけでもなかったが、教育に携わる学科にいた以上、現場で色々なことを自分の目で見ることのできる最高の機会をいただけて嬉しくない人なんていないと思う。

そのような経緯もあり、2012年の4月。ここから私の、今に続く長い道のりの第一歩がはじまった。

最初の半年間は、3年生に入って学習支援を行った。子どもたちは可愛かったし、毎回の活動は最高に楽しかったが、何かを教えたり、伝えたりすることは恐らく出来ていなかった。それでも、週に一度来るたびに声をかけてくれたり、成長していたりする子どもを見れるだけでも幸せだった。特に運動会のダンスは、4月当初の動きと比べて格段に成長したこともあり、「子どもの成長ってすごいなぁ」と感心した記憶がある。

このまま1年間、3年生と楽しく過ごせるのかな?と思っていた夏休み明け初日、4年生に行ってくれと告げられた。子どもと楽しく過ごすことを学んでもらったから、次は学習支援の方により力を入れてくれとのことで、環境を移すこととなった。


最初の3、4回は非常に辛かった。まず、3年生と4年生は階が違った。つまり、慣れ親しんだ3年生とあまり会えなくなった。人間関係を0から構築することって、こんなに難しかったかな?と思う1ヶ月だったと思う。
それでも、1ヶ月と少し経てば4年生にも慣れてきて、本当に楽しい経験をすることができた。恐らく学習支援は求められているレベルのことはできなかったと思うが、子どもと一緒に様々な経験をさせてもらった。授業中はもちろん、音楽祭的な行事や10歳を祝う会など、毎回の行事が本当に楽しかった。

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ありがたいことに、クラスの重大ニュースの第2位にも選んでもらった。最後の日には、お別れ会まで開いてもらって、

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とても多くの手紙やプレゼントももらった。未だにこの手紙は、うまくいかなかった日や凹んだ日に見返しては、元気をもらっている。

この1年間を通して、私は子どもと一緒に学ぶことや創りあげることの楽しさを知った。私自身の能力は低くても、伝えられることや与えられるものはあるのではないかと考えるきっかけになった経験である。そこから私は小学校のセンセイになりたい、この地で恩返しをしたいと思うようになり、今に至っているわけだ。

生きる道を与えてくれたこの時の子どもたちには、感謝の気持ちでいっぱいである。

 

この小学校にはその後もボランティアとしてお手伝いさせていただき、最終的に大学卒業までお世話になった。ボランティアでは支援級や他学年と関わり、様々なことを教えていただいた。最後には、体験活動の時に4年生だった「特別な子たち」の卒業を間近で見る経験までさせていただき、この仕事の魅力をたくさん教えていただいた。いくら感謝しても足りることはないだろう。

 

今は違う職場で、大学生としてではなく正規のセンセイをしているが、いつかはこの学校に戻ってきて、誰かに夢を与えたいと思っている。

それが、今の自分の夢である。