新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

過去の話② 大学時代の話。特別支援サークルにて。

私が自身の仕事を語る上で欠かせないキーワードは「特別支援」である。何せ、未だにほとんどそれ関連の仕事しかしたことがない。そもそも私は、大学受験をする際に「仮に先生になるなら特別支援学校の先生になりたい」と思っていた。故に、教育系の大学は特別支援の免許を取れる場所しか受験しなかった。その時には「もしも...」の気持ちが強かったものの、結果としてそれ関連の仕事をしているという意味では、当時の自分は良い判断をしたのではないかと思っている。

さて、「 じゃあ今の自分が仕事をする際に土台になっているものは何か?」と聞かれたら、恐らく大学時代のサークル活動だと答えると思う。
私は大学時代、サークルを3つ掛け持ちしていたが、入学〜最後まで所属していたのは特別支援に関するサークルだけだ。(サッカーやフットサルは、途中で移籍をした!)
そもそものきっかけは、高校時代の友人である。たまたま同じ大学に進学した友人から、「 お前にぴったりなサークルがあるよ」と紹介を受けたのが、特別支援学校の子どもたちと関わるサークルであった。最初は、「友達が紹介してくれたわけだし、断るのは失礼だな」くらいの気持ちで体験に行ったのだが、これが結構楽しかった。子どもたちは素直だし、一緒に活動すると喜んでくれるし、何より自分も楽しい。
そんなわけで、体験の帰りには、入部を決めていた。

それから3年間、子どもたちと一緒に色々な活動をした。計画に携わることはあまりしなかった気がするが(これはもっと積極的にやればよかったと思っている)、遠足に行ったり、バーベキューをしたり、時には一緒に泊まったりと、子どもたちと濃い3年間を過ごしたと思う。

もちろん、上手くいかないこともあった。というより、圧倒的に上手くいかないことの方が多かった。学年が進めば進むほど、勉強したことやボランティアの経験から「知識」が増える。活動の時には新しい知識を活かして関わろうとするのだが、これが難しい。思っていた反応と違ったり、反発されたり。
上手くやるために獲得してきたはずの「知識」という武器が、却って逆効果になっていく。
困ったな、難しいなと試行錯誤しながらの3年間だったと思う。もちろん、いまも毎日が試行錯誤ではあるが。


今になって思うのは、「知識」は量じゃなくて質、使い方だということ。もちろん、量があるに越したことはないが、目の前の相手をよく観察して、持っている手札をどう料理していくのかが大事なのではないだろうか。特に、うちの学級は「個別」の支援が求められるので、大学時代の経験が生きていると感じる部分も多い。
今は比較的落ち着いている学校・学級でやれているが、そうではなくなった時こそ、基本に戻って一つ一つを大切にやりたい所存である。


そんな、大学時代のちょっとした学生生活のアーカイブ
毎回きっちり書くのは大変なので、たまにはこんな薄い話もいいだろう。