新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

「人間」として、共に生きるために。

卒業式も近くなってきたが、卒業イベントがなくても、今は年度末である。来年度のことが少しずつ気になりはじめ、また年度末処理などもあり、気持ち的にも落ち着かない時期に入った。来年度はどこに置かれるのだろう、何の仕事をするのだろう。今年と同じことは何か、新しいことは何か。伝える方も、聞く方も、引き継がなければいけないことは何だろうか。

何も決まっていないのに頭の中ではあんなことやこんなことが渦巻き、それだけでも疲れてしまいそうであるが、それでも新年度は待ってくれない。そして、その前に、卒業式も待ってくれない。気づけば、登校日もあと5日である。

支援級とはいえ、ありがたいことに、これまで毎年6年と関わる機会に恵まれてきた。国語や算数はこの時期には終わっていて、年度末は卒業式に集中できるようにするのが私のやり方だ。練習以外の時間は、練習に集中した分息抜きで図工やパソコンを使ったもの中心となり、メリハリ重視でやっていく。これが4年間の王道パターンになっている。

このリズムが私のチーム(クラス)ではルーティン化していることもあり、子どもも毎年練習を頑張りつつ落ち着いて過ごすことができている。今年度もあと少し。メリハリを大事にして頑張りたいところである。

 

ところで、私のチームでは大事にしていることが2つある。卒業前に、改めて絶対伝えることなのだが、2つの相反するようなテーマで毎年頑張ってもらっている。

1つは「自分の力で出来ることを増やすこと」。これは、色々なところでよく聞くところだろう。社会に出た時に、誰かに100%すべて頼りっぱなしでは、到底マトモに生活していけない。食べていくため、生きるために、自分でできることの範囲を広げていくのは、こちらに課せられた大事な仕事だと思う。故に、うちは洗濯や配り物などは、全てこちらはノータッチでやっている。自分たちで声をかけながらやっていくうちに、気づけば出来るようになっている。これが理想で、毎年積み上げながらやっていく。

 

ただ、自分だけではどうしても出来ないことが出てくる。一人の力は、たかが知れている。限界があるのだ。子どもでも、大人でも、それは同じだ。そこで、2つめのテーマが出てくる。それは、「頼り上手な人間になること」である。

決して、人任せという意味ではなく、「自分じゃどうしても出来ない時、自分だけでは難しい時は、迷わず人を頼れるようになれ」という意味でやっている。人は誰しも個性があり、得意不得意も異なる。故に、自分にとっては難しいことでも、誰かに頼めばあっという間に道が開けることがよくあるように思う。支援級はどうしても「自分の力で頑張ること」を大事にしすぎる傾向にあるように感じているが、決してそれに拘りすぎる必要はないと私は思う。勿論、自力で出来る範囲を広げていく努力は必要だが(そのための1つめのテーマだ)、難しいことは助けてもらえばいい。甘え上手ではないが、人に助けてもらうことも社会に出れば必要な能力だ。上手く人を頼ることで、物事は圧倒的に簡単になる。

勿論、頼っているだけではダメだ。誰かが困っている時には、自分の得意なことや出来ることで、助けてあげることも必要だ。そうやって誰かに手を差し伸べることで、困った時に救いの手は差し伸べられる。そう言い続けて、この4年間やってきた。子どもたちも、色々なことをやっていくうちに自分の得意なことがわかってきて、苦手なことは一緒にやってもらったり、教えてもらったりする癖がつくように実感する。

 

そうやって、誰かを助けたり、助けてもらったりして、人と人とが繋がっていくことで、誰もが生きやすい世の中になっていくのだと私は思う。インクルーシブだとかユニバーサルデザインだとか共生など色々な言葉があるが、要は人と人。それぞれが個性を活かして生きていければいい。

人間は人と人との間に生きるからこそ人間なのであり、一人では生きていけないのだから。

 

交流級と過ごす時間が日に日に長くなってきたが、うちのチームにいる時間を疎かにせず、積み上げてきたものを大事にしたいと思う。2つのテーマで育った子が、これからも人を頼れるように。頼られる力を身につけられるように。