新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

子ども時代の話と、担任の先生の話。

卒業生の残りの登校日が、10日になった。

卒業式の練習も本格的にはじまり、毎日そのことばかりを考えはじめる時期だ。上手くいかないところはこっそり鍛え、できる状態に仕上げていく。自分の力だけではできない。子どものやる気と根気が必要な作業である。今のところ、よく頑張ってくれている。泣いても笑っても、あと10日。あとはもう信じて、頑張ってもらうしかない。今年は指揮を振ることもないので、当日は早々に泣いてもいいのだが、まずはそうできるようにきっちり仕上げていきたい。

ところで、卒業式で歌う曲がいくつかあるのだが、思い出深い曲が2曲ある。1曲目は、「この星に生まれて」という曲だ。何故この曲が思い出深いかというと、子どもの時に変な替え歌を作っていたから。もう忘れてしまったが、確かに面白おかしく歌詞を変えていた。いま聴くといい歌詞なのだが、子どもの時は英語の部分がなんか面白い!となり、そこを友だちとふざけていじっていた記憶がある。もちろん練習中にそんなことは考えないが、ふと思い出すと懐かしさがこみ上げてくる曲である。

2曲目は、「広い世界へ」という曲だ。昨年に引き続き、今年も採用された曲である。この曲は何と言っても、自分が卒業式で歌った曲である。尤も、自分は当日、大号泣で歌うどころではなかったが...。今年の子どもたちには、頑張ってほしいものだ。いい曲なのだから。

 

さてさて、今年の子達は普通級も含めて、本当にいい子達である。何より、素直で明るい。これだけでもう、素晴らしい。パンチ力はないものの、周りを見て動けるし、思いやりもある。なかなか貴重な力を持った子ども達だと思う。みんな、自分には持ってない力を持っている子ばかりだ。

 

私の子ども時代はというと、多分いつもうるさい奴だったと思う。騒がしいし、しょっちゅうふざけるしで、よく怒られていた。トラブルメーカーではなかったと思うが、ちょいちょいやらかしていたので、先生には多大なるご迷惑をおかけしていたと思う。いま思えば、だが。

ただそれでも、毎日が本当に楽しかった。非常に目立ちたがりだったので、委員長や縦割り班長など、できるものはほとんど立候補してやったし、質を無視すれば発言なんかも多かったと思う。

ただ、一歩間違えれば、それは只の勘違い野郎だし、実際それに近い奴だったとは思う。小学校時代が最高に楽しい思い出で溢れているのは、ひとえに担任の先生のおかげである。

特に6年時の先生には、本当に色々助けてもらった。訳のわからないことをしても守ってくれたし、ノリも良かったし、熱い時は誰よりも熱い先生だった。自分含め、クセの強いメンバーが多かったとは思うが、色々な場面にクラス一丸で頑張れたのは、その先生の影響が非常に大きかったと思う。

私が同じ道に進んでからは更にその偉大さがよくわかり、今でもとても尊敬している。だから、様々なところで影響を受けている部分もある。大勢の前でもマイクを使わずに声を張って話したり、休み時間に子どもと何かを同じ土俵で勝負したり、手書きで学級通信を書いたり。そんなところは、その先生の真似をしてるんだなーと後から実感する。他にも恐らく、出来ていなくても、色々なことを同じやり方でやっていると思う。あだ名をつけられている点も一緒だ。笑

まあしかし、それも当然といえば当然である。だって、今でも当時の学級通信をしょっちゅう読み返すし、先生とご飯を食べに行くこともあるし、その時には仕事の相談だってするのだから。いつだってあの頃と変わらずにノリよく、いじりながらも前向きになるアドバイスをくれる先生を素直に凄いと思うし、いつかは誰かにとってそんな存在になりたいと思う。

 

自分が小学校を卒業してからは14年経つので、今日や明日にそんな存在になれるとは思わない。それでも、10年後や20年後に、誰かにとって力になれるような人になれればいい。願わくば、あと10日でお別れする子たちとも、そうやって末永く付き合っていきたいものだ。