新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

卒業式

3/19、卒業式があった。今年も卒業担任として、良き門出の日を共に過ごすことができた。

 

何度も書いてはいるが、今年の子たちは、3年間一緒だった子たちだった。故に、ずっと特別な感情を抱いていたことは否定できない。

今年に入ってから、ずっとずっとその日が来ることを恐れていた。おめでたいことなのだが、当たり前だった毎日がなくなってしまうことが怖かった。休み時間、給食、授業。1分、1時間、1日が終わると、複雑な気持ちになったのも確かだ。周りからも「今年は寂しいでしょ?」とか「式の日は絶対一番泣くよね」と散々冷やかされた。

それでも、式の練習をしたり、以前記事にもしたサプライズプレゼントをもらったりする中で、「前向きな気持ちで送り出さないとな」という気持ちになった。毎年毎年後ろ向きな気持ちで送り出していたが、そう、卒業はおめでたいことなのだ。まっすぐな気持ちで、温かく送り出すことが、彼ら彼女らへの恩返しになるんじゃないかと考え、自分なりに気持ちを整理していった。

 

そして迎えた当日。

制服や袴を着た子たちを、いつもと同じように外で出迎える。いつもと同じようで、いつもとは違う光景。朝出迎えるかは最後まで悩んだが、最後の日はしっかりと朝から最後までの光景を、目に刻んでおきたかった。

まず、式の前に、6年生を送る会がはじまる。昨年は涙涙の会だったが、今年はどちらかというと笑顔が溢れる会だったと思う。それは紛れもなく、あの子たちの明るさやパワーの賜物だったと言えるだろう。

 

そして、1時間後。

体育館の前に、我々は列んでいた。やや緊張気味の子どもたち。私はなるべく朗らかに、ニヤリと顔を見回して緊張をほぐしにかかる。そして、卒業生入場。交流級の担任、私と続き、その後ろを卒業生が歩いてくる。緊張した顔、ややニヤついた顔、早足、牛歩。色々な子がいたが、どの子もとても輝いて見えた。3年前の姿が重なり、大きくなったなと微かに実感していた。既にそこで、一回泣きそうになった。

式の中身でいえば、なんと言っても卒業証書授与と、門出の言葉だろう。

ただ、証書授与は、実はそんなに心配していなかった。どの子も練習通りに出来るだろうと思っていたし、うちの子も絶対大丈夫な自信があった。だから、呼名するまでは顔を一切見なかった。自分でやりきってほしかったからだ。そして名前を呼び、聞こえる「はい!」の声。まっすぐに歩く姿。とても立派だったと思う。その姿を見ていたら3年間の歩みが急に脳裏に浮かんできて、実は少し泣いた。

 

そして最後の、門出の言葉。これが一番心配であり、上手くいったら泣くなーと思っていたポイントだった。うちの子が最初のセリフをしっかりと言えるかがとにかく心配だったが、間も声量もあまりに完璧で、緊張の糸がプツリと切れてしまい、そこからずっと号泣だった。

雛壇に立つ一人一人の顔も、もう次のステージへ進める人の顔になっていたし、逞しく感じると共に、嬉しい気持ちでいっぱいになった。感動して泣いてはいたが。

本当に本当に、3年間一緒に夢を見られたこと、景色や思い出をを共有できたことを嬉しく思う1時間だった。

 

その後の写真撮影や謝恩会は...まあ、彼ら彼女ららしかった。とても楽しく、最後は明るい笑顔で送り出せたと思う。保護者の方にも、感謝感謝である。

 

昨日はお休みをもらったので、明日が式後最初の出勤日となる。実はまだ、学校に行ってもあの子たちがいない実感が湧いていない。

きっと朝、昇降口前に行って、いつもの景色が変わっているのを確認してから、急に実感が湧くのだと思う。ただ、寂しいとは思うが、後ろ向きな気持ちにはきっとならないと思う。

私は決めたのだ。後ろ向きにならないために、したいことを。

 

8年後、タイムカプセルを一緒に開けて大笑いした後、笑顔でこれまでの日々を語り合うのだ。