新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

日常。

今朝、いつもと同じように目覚めた。気怠い月曜日の朝。明日であの子たちとお別れかと思うと、より一層気が滅入る。

通知表や配布物をまとめるため、いつもより一本早い始発に乗る。朝、机上には一通の手紙。昨年度組んだ先生からのお手紙だった。手紙の内容があまりにも温かく、まず朝一発目から泣く。

 

7:55頃。子どもたちが次々と登校してくる。私は毎朝外へ出て行き、普通級の子たちとコミュニケーションをとる。3年間続けている日課だ。でも今日はいつも以上に6年生中心。寂しい気持ちを払いのけるように、いつもより一段とギアを上げる。しかし、3年間普通級の中では最も喋った二人組に、寂しい気持ちを見抜かれる。でも負けじとやり返したり、いじったりする。そんな朝ももう来ないかと思うと、より一層寂しくもなるが、そんな考えは頭からどける。

 

昇降口が開き、子どもたちが中へ。私も教室へ。朝一番、担任してる子から手紙を受けとる。「昨日書いたの!」って。中身を見て、朝から泣く。今日、早くも2回目だ。

朝会を終え、配布物を配り終える。今日は2〜4時間目は卒業式の練習や交流級で過ごすので、1時間目が私の最後の授業だ。字を丁寧に書くことすら、時間がもったいなく感じる。最後の45分、これからどう生きていくかを考えてもらった。

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「何歳まで生きるかねぇ?」「んー、100歳!」そんなやりとりで、数直線を描く。小学校の6年間は、100年生きるとすると僅かな時間だ。人生の、たった6/100でしかないのだから。しかし、その6年間で、子どもたちは色々なことを学んできたはずだ。そしてそれは、生きる力の基礎となる。これからの人生は、この6年間で学んだことを生かせば戦える。それを伝えたかった。この先、ここで身につけた力を生かす努力をし続けて、後悔のない人生を送ってほしい。

 

その後は卒業式の練習だ。どの子も、気合いが入っている。この分なら明日はきっと最高の式に出来るなと思い、つい泣きそうになるが我慢する。

 

4時間終わって、今日はお開き。最後の「日常」が終わりを告げた。

 

子どもたちが帰った後は、式場の準備だ。みんなで力を合わせ、会場をデザインする。

1時間ほど経って、会場が完成。一気にお別れの実感が湧いてくる。

そして、明日の打ち合わせをして、1日が終わる。

 

どんなに来てほしくなくても、終わってほしくなくても、それでもその日はやってくる。何でもない日々が特別だったと気付くなんていう話もあるが、明日は間違いなく特別な1日だ。

きっとその場にいる、誰にとっても。

 

 

ぬまっちと、うなぎ。

今日は朝7:00前の電車に乗り、勉強しに行った。

メディアとかでもよく取り上げられており、個人的にもすごく魅力的な人に思える「ぬまっち」こと沼田晶弘先生。ダンシング掃除やU2と聞くとピンとくる方もいるかもしれない。

「一度はこの先生のお話を生で聞いてみたいな」と、ずっと思っていた。そして、講演会があることを先週知り、次の瞬間にはもう申し込み終えていた。

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10時スタートの12時終了だったのだが、あっという間の2時間だった。話が上手な先生のトークは飽きないし、あっという間に時間が経つ。承認欲求の話なんかは「あ〜わかるわ〜」と共感もできた。普段から意識してることのいくつかは間違ってはいないと改めて自信を持てる場面もあった。もちろん足りないことの方が多いが。

先生もおっしゃっていたが、今日聞いた話をそのまま実践してもうまくいかないことだろう。目の前の子どもの個性があって、はじめて手段を選べるのだ。しかしそれでも、今日聞いた話の中には使いたいものや意識したいこと、アレンジしたいものが幾つもあった。子どもの実態に応じて、少しずつエッセンスを取り入れた私流の学級経営をしたいものである。

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普通に読み物としても面白いので、本を読んだことのない人は一度読んでみてもいいかもしれない。

 

その後は、鰻の名店である赤羽の「川栄」にて昼食。昨年の半ばまで祖父母が近くに住んでいたため、家に遊びにいく時にはよくお土産で買って行った。祖父母が実家の近くに移ってきてからは赤羽の近くに来ることがなかったため、実に1年ぶりの川栄だった。しかし、「孤独のグルメ」に出てからは混んで混んで仕方なかったのだが、今日は列ばずに入店ができた。ラッキー。

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しかしまあ、相変わらず美味!そして、昼からビール。最高である。

 

その後は八重洲ブックセンターへ行き、3冊ほど本を購入。迷いに迷い、とりあえず春休みまでに読める、取り組めるものを選んだ。

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私の1番の課題は、板書である。字が汚いので、今春こそ練習しなければ...。

 

基本的に朝に弱いので、今日みたいに休日の朝に早出をするのは結構きつかったが、有意義な一日になった。今年は、色々な勉強会やワークショップに参加して、手札を増やしたいものだ。

 

3年目のジンクスを乗り越えて。

3年間。早いような、長いような、絶妙な年数だと思う。小学校だと半分、中学高校に至っては学校生活が終わる。
「石の上にも三年」ということわざがあるが、私は同じことを3年間続けることが非常に苦手である。というより、小さい頃から現在まで20年以上続けているサッカーを除けば、3年間続いたものはないに等しい。


サッカー以外の習い事も、中学校も高校も、人間関係も、3年間同じように続いたことはあまりない。柔道や水泳も3年目あたりで辛くなって辞めたし、中学や高校では3年生の時に倦怠感から理由もなくちょくちょく休んでいたし、大学もキャンパスが変わらなければあんなにきっちり通えなかったと思う。人間関係も一緒で、3年以上続いている関係はもちろん多いが、ずっと同じペースで3年目を迎えられるケースは稀だ。だいたい、途中で理由もなくしんどくなることが多い。そうならない人は、よほどウマが合うか腐れ縁かのどちらかで、社会人になってからはますますその傾向が強くなったように思う。
成人してから3年間続いたのは、大学時代の小学校ボランティアくらいか。ただ、アレも途中で見るクラスが変わっていたので、まったく同じ環境で続けたわけではない。
私はとにかく、同じ環境で、同じリズムで、3年続けることが出来ない人間なのだ。「3年目の壁」は、自分にとってこれまで、あまりにも大きすぎた。

 

しかし、今春、遂にこの壁を乗り越えられそうである。
同じ職場に3年。同じ教室に3年。同じ子たちと3年。どれも、自分の性格を考えれば信じられないことであり、快挙と言えるだろう。
もちろん、特に交流級の子たちとは、ずっと同じテンションで同じ関係を...とはいかなかった。大きくなってくれば子どもの内面には大きな変化があるし、同じ関わり方は出来ない。楽しいことばかりじゃなく、時にはきついこともあった。特に、3年目の今年は。やはり、ここが大きな壁になるんだなと頭を抱えることになる。

 

それでも、痛んで悩んで苦しんで、そして笑って。今、ようやくここまで来た。
昨年度、異動するかどうかの選択肢を委ねられ、悩みに悩んだ末に残留すると決めた。それが正解だったかどうかはわからないが、この1年間も結果的には良い思い出になりそうなことは確かだ。

あの子たちと過ごしたおかげで、自分の中で1つ大きな壁を乗り越えることができた。
3年目を越えれば、4年目がやってくる。私にとっては未知の世界だ。しかし、同じ子たち、はもう100%ない。

 

どんな景色が見えて、どんな悩みが出来て、どんな楽しみが生まれるのだろう。別れは寂しいが、未来が楽しみでもある。そんな春である。

感動をありがとう!〜最後のお楽しみ会〜

今日、交流級で、最後のお楽しみ会があった。もちろん、我々支援級も呼んでもらって楽しんだ(しかし、これは決して当たり前ではないのだ。普通に混ぜてくれるあの子たちは、優しすぎる。子どもはまだしも、大人まで混ぜてくれるなんて素敵な思いやりだ!)。
ドッジボールで体を使い、English gameで頭を使い、ほぼほぼ御開きかな?と思った頃。子どもたちが「目つぶって外へ出て」と促す。ふざけてるのかイマイチ信用されてないのか、途中で配膳台のカバーを顔にかけられる。ほんのりと臭う。
そうこうして、子どもにエスコートされ、隣の教室。椅子に座れと言われ、大人しく座る。完全に無抵抗である。
そして、カバーを外されて、視界が開ける。目の前には、いつもの光景。そして、いつものメンバーが、いつもとは違う雰囲気で、最後のプログラムをはじめる。
そう、サプライズだ。私は、今年、サプライズを受ける側だったのである。


この学年の子たちとは過去2年間、一緒にサプライズを作ってきた側だった。4年生の時には、異動する担任の先生にビデオを作った。昨年は、担任の先生は異動しなかったが、感謝の気持ちを伝えたいということで、やはりサプライズを企画した(子どもたちはてっきり、その先生は異動するものだと思っていたようだが)。
自分で言うのも何だが、私はサプライズが割と得意だ。気づかれずに遂行する自信もある。職場で遂行したサプライズは、子どもも大人も関係なく、ほぼ100%気づかれずに成功しているはずだ。故に、実は少し前から、「怪しいな」とは思っていた。笑 ただそれでも、内容までは探りたくなかったし、探るつもりもなかった。中身さえ知らなければ、知っている内に入らない。


だから、今日は純粋にサプライズを楽しめたし、感動した。私が過去に企画したものよりも、ずっとずっと良かったと思う。
まずは、歌だ。誰が選曲したのかは知らないが、ナイスチョイスだ。いきものがかりの「ありがとう」。決して上手ではなかったが、お上手な歌よりもグッとくるものがあった。特に2番の、
「“あなたの夢”がいつからか “ふたりの夢”に変わっていた 今日だって いつか 大切な 瞬間」
という歌詞は、まさに私の学級の1年間を映しているように思い、つい泣きそうになった。

 

そして、寄せ書きのプレゼント。

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中身を開けてみると、素敵な言葉の数々。私はここへ来て3年目だが、2年間とか4年間ありがとうとかいうコメントもあったりしてツッコミもしたくなったが(笑)、あの子たちの思いがたくさん詰まった寄せ書きだった。

きっと、いや絶対、一生の宝物になることだろう。

 

以前にも書いたが、この学年の子たちには何度も精神的に助けてもらった。あの子たちがいなければ、今私はここにいない。だから、個人的にはたくさん借りがあるのだ。なのに、最後にこんなプレゼントまでもらってしまい、また借りが一つ増えてしまった。

全てを恩返しすることはきっとできないが、あと3日。全力で楽しんで、そして、最高の卒業式を創り上げる。世界一の時間を提供して、大きな声で送り出す。これが、きっと私にできる精一杯の恩返しである。

明日は予行練習。まずは一発目、泣かない程度に、気持ちのこもった空間を生み出したい。

 

 

「人間」として、共に生きるために。

卒業式も近くなってきたが、卒業イベントがなくても、今は年度末である。来年度のことが少しずつ気になりはじめ、また年度末処理などもあり、気持ち的にも落ち着かない時期に入った。来年度はどこに置かれるのだろう、何の仕事をするのだろう。今年と同じことは何か、新しいことは何か。伝える方も、聞く方も、引き継がなければいけないことは何だろうか。

何も決まっていないのに頭の中ではあんなことやこんなことが渦巻き、それだけでも疲れてしまいそうであるが、それでも新年度は待ってくれない。そして、その前に、卒業式も待ってくれない。気づけば、登校日もあと5日である。

支援級とはいえ、ありがたいことに、これまで毎年6年と関わる機会に恵まれてきた。国語や算数はこの時期には終わっていて、年度末は卒業式に集中できるようにするのが私のやり方だ。練習以外の時間は、練習に集中した分息抜きで図工やパソコンを使ったもの中心となり、メリハリ重視でやっていく。これが4年間の王道パターンになっている。

このリズムが私のチーム(クラス)ではルーティン化していることもあり、子どもも毎年練習を頑張りつつ落ち着いて過ごすことができている。今年度もあと少し。メリハリを大事にして頑張りたいところである。

 

ところで、私のチームでは大事にしていることが2つある。卒業前に、改めて絶対伝えることなのだが、2つの相反するようなテーマで毎年頑張ってもらっている。

1つは「自分の力で出来ることを増やすこと」。これは、色々なところでよく聞くところだろう。社会に出た時に、誰かに100%すべて頼りっぱなしでは、到底マトモに生活していけない。食べていくため、生きるために、自分でできることの範囲を広げていくのは、こちらに課せられた大事な仕事だと思う。故に、うちは洗濯や配り物などは、全てこちらはノータッチでやっている。自分たちで声をかけながらやっていくうちに、気づけば出来るようになっている。これが理想で、毎年積み上げながらやっていく。

 

ただ、自分だけではどうしても出来ないことが出てくる。一人の力は、たかが知れている。限界があるのだ。子どもでも、大人でも、それは同じだ。そこで、2つめのテーマが出てくる。それは、「頼り上手な人間になること」である。

決して、人任せという意味ではなく、「自分じゃどうしても出来ない時、自分だけでは難しい時は、迷わず人を頼れるようになれ」という意味でやっている。人は誰しも個性があり、得意不得意も異なる。故に、自分にとっては難しいことでも、誰かに頼めばあっという間に道が開けることがよくあるように思う。支援級はどうしても「自分の力で頑張ること」を大事にしすぎる傾向にあるように感じているが、決してそれに拘りすぎる必要はないと私は思う。勿論、自力で出来る範囲を広げていく努力は必要だが(そのための1つめのテーマだ)、難しいことは助けてもらえばいい。甘え上手ではないが、人に助けてもらうことも社会に出れば必要な能力だ。上手く人を頼ることで、物事は圧倒的に簡単になる。

勿論、頼っているだけではダメだ。誰かが困っている時には、自分の得意なことや出来ることで、助けてあげることも必要だ。そうやって誰かに手を差し伸べることで、困った時に救いの手は差し伸べられる。そう言い続けて、この4年間やってきた。子どもたちも、色々なことをやっていくうちに自分の得意なことがわかってきて、苦手なことは一緒にやってもらったり、教えてもらったりする癖がつくように実感する。

 

そうやって、誰かを助けたり、助けてもらったりして、人と人とが繋がっていくことで、誰もが生きやすい世の中になっていくのだと私は思う。インクルーシブだとかユニバーサルデザインだとか共生など色々な言葉があるが、要は人と人。それぞれが個性を活かして生きていければいい。

人間は人と人との間に生きるからこそ人間なのであり、一人では生きていけないのだから。

 

交流級と過ごす時間が日に日に長くなってきたが、うちのチームにいる時間を疎かにせず、積み上げてきたものを大事にしたいと思う。2つのテーマで育った子が、これからも人を頼れるように。頼られる力を身につけられるように。

子ども時代の話と、担任の先生の話。

卒業生の残りの登校日が、10日になった。

卒業式の練習も本格的にはじまり、毎日そのことばかりを考えはじめる時期だ。上手くいかないところはこっそり鍛え、できる状態に仕上げていく。自分の力だけではできない。子どものやる気と根気が必要な作業である。今のところ、よく頑張ってくれている。泣いても笑っても、あと10日。あとはもう信じて、頑張ってもらうしかない。今年は指揮を振ることもないので、当日は早々に泣いてもいいのだが、まずはそうできるようにきっちり仕上げていきたい。

ところで、卒業式で歌う曲がいくつかあるのだが、思い出深い曲が2曲ある。1曲目は、「この星に生まれて」という曲だ。何故この曲が思い出深いかというと、子どもの時に変な替え歌を作っていたから。もう忘れてしまったが、確かに面白おかしく歌詞を変えていた。いま聴くといい歌詞なのだが、子どもの時は英語の部分がなんか面白い!となり、そこを友だちとふざけていじっていた記憶がある。もちろん練習中にそんなことは考えないが、ふと思い出すと懐かしさがこみ上げてくる曲である。

2曲目は、「広い世界へ」という曲だ。昨年に引き続き、今年も採用された曲である。この曲は何と言っても、自分が卒業式で歌った曲である。尤も、自分は当日、大号泣で歌うどころではなかったが...。今年の子どもたちには、頑張ってほしいものだ。いい曲なのだから。

 

さてさて、今年の子達は普通級も含めて、本当にいい子達である。何より、素直で明るい。これだけでもう、素晴らしい。パンチ力はないものの、周りを見て動けるし、思いやりもある。なかなか貴重な力を持った子ども達だと思う。みんな、自分には持ってない力を持っている子ばかりだ。

 

私の子ども時代はというと、多分いつもうるさい奴だったと思う。騒がしいし、しょっちゅうふざけるしで、よく怒られていた。トラブルメーカーではなかったと思うが、ちょいちょいやらかしていたので、先生には多大なるご迷惑をおかけしていたと思う。いま思えば、だが。

ただそれでも、毎日が本当に楽しかった。非常に目立ちたがりだったので、委員長や縦割り班長など、できるものはほとんど立候補してやったし、質を無視すれば発言なんかも多かったと思う。

ただ、一歩間違えれば、それは只の勘違い野郎だし、実際それに近い奴だったとは思う。小学校時代が最高に楽しい思い出で溢れているのは、ひとえに担任の先生のおかげである。

特に6年時の先生には、本当に色々助けてもらった。訳のわからないことをしても守ってくれたし、ノリも良かったし、熱い時は誰よりも熱い先生だった。自分含め、クセの強いメンバーが多かったとは思うが、色々な場面にクラス一丸で頑張れたのは、その先生の影響が非常に大きかったと思う。

私が同じ道に進んでからは更にその偉大さがよくわかり、今でもとても尊敬している。だから、様々なところで影響を受けている部分もある。大勢の前でもマイクを使わずに声を張って話したり、休み時間に子どもと何かを同じ土俵で勝負したり、手書きで学級通信を書いたり。そんなところは、その先生の真似をしてるんだなーと後から実感する。他にも恐らく、出来ていなくても、色々なことを同じやり方でやっていると思う。あだ名をつけられている点も一緒だ。笑

まあしかし、それも当然といえば当然である。だって、今でも当時の学級通信をしょっちゅう読み返すし、先生とご飯を食べに行くこともあるし、その時には仕事の相談だってするのだから。いつだってあの頃と変わらずにノリよく、いじりながらも前向きになるアドバイスをくれる先生を素直に凄いと思うし、いつかは誰かにとってそんな存在になりたいと思う。

 

自分が小学校を卒業してからは14年経つので、今日や明日にそんな存在になれるとは思わない。それでも、10年後や20年後に、誰かにとって力になれるような人になれればいい。願わくば、あと10日でお別れする子たちとも、そうやって末永く付き合っていきたいものだ。

 

 

神戸にて、天才たちを堪能する。

昨日の夜〜今日まで、神戸へ行ってきた。今は帰り道真っ只中だが、所謂弾丸旅行である。

私の居住地から神戸までは、かなり遠いと言えると思う。それを仕事帰りに行くのだ。ただでさえ、仕事の後はすぐに寝てしまう私だ。モチベーションがないと到底無理である。しかし、今回は明確な目的があった。

目的は2つ。1つは、神戸牛を今回こそ食べること。2つ目は、サッカーを見ることである。

 

そんなわけで、昨日の夜に神戸へ。神戸は、住んだことのある場所を除けば2番目に好きな街だ(一番は函館だ)。そんなわけで、夜からドンチャンやりたかったのが本音だが、着いた時間が日付が変わる前、更に仕事の疲れもあり、とても夜遊びする気分にはならなかった。そのため、今日の午前中にぶらぶら街を歩き、午後にサッカーを観て帰るということだけ決めて、昨日はさっさと寝た。

 

今朝、起きてから考える。半日、どこを回ろうか。神戸のめぼしいところは大体行ったことがある。そのため、いまどこを見たいかが焦点となり、異人館街をぶらつくことにした。

まずは朝食。にしむら珈琲で、朝からフルーツをたっぷりと。

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朝食の後は、歩いて異人館街へ。うろこの家→山手八番館→北野外国人倶楽部→坂の上の異人館をテンポよくまわっていく。

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そして、坂を下り、ベンの家→英国館→トリックアート不思議な領事館をまわり、最後はスタバでフィニッシュ。

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ここのスタバは、高校卒業後の一人旅の際に、マイミクさん(響きが懐かしい!)に案内してもらったときから、お気に入りの場所である。

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もう、最高にオシャレだ。接客してくれた店員さんがたまたま同郷出身ということが判明し、気分も上がる(ここらへんを話すのが上手いあたり、観光地のバイトの人たちはすごいと思う)。

 

そんなこんなでぶらついていて、気づけば11時を過ぎていた。サッカーの試合が15時キックオフのため、昼ごはんを食べるなら早めの方が良い。何せ、神戸牛だ。列ぶのだ。そう思い、早足で下山。行きたかった、「プロペラ」にて、神戸牛を堪能した。

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いつもスーパーで肉を買うときには、100g88円とかのものを買う私が今日食べたこの肉。100gで3000円である。こんなに高い肉、生まれて初めてだ。安いものでも満足できるおめでたい舌の持ち主である私でもわかる、味の違い。焼き加減の絶妙さ。もう、感動モノであった。とても、毎回は食べられないが。笑

 

ここで食べる際に結構列んだので、食べ終わる頃にはいい時間になっていた。その後、ハーバーランドで軽く買い物をし、

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ヴィッセル神戸のホームスタジアムである、ノエビアスタジアムへと向かった。初めてのノエスタ。キャッシュレスシステムには慣れなかったが、座席に座ってびっくり。ピッチと客席が近い。そして見やすい。

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せっかくなので、試合が始まる前にユニフォームも買った。イニエスタか、ビジャか...悩んだ末に、ビジャにした。

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余談だが、イニエスタとビジャが目当てで今回は神戸まで来た。

もちろん、ポドルスキも偉大な選手だ。対戦相手である鳥栖に目を向ければ、やはりスペイン代表のエース格であるフェルナンドトーレスがいたのも、今回のカードを観戦するきっかけにはなった。しかしやはり、イニエスタとビジャは自分の中では別格なのだ。イニエスタは、私がこれまでオールタイムで見てきた選手の中で、3番目に好きな選手である(1番はジョン・テリー、2番目はルイス・フィーゴだ)。そしてビジャもまた、もっとも好きな選手をあげろと言われたら10番以内に入る選手である。何せ、高校時代は、たまにビジャの髪型を真似ていたのだから。美容院で、ビジャの写真を見せて、「こんな感じがいいです」と言っていたくらいには、気に入っている選手だった。そんな2人が、Jリーガーとして試合に立つ。鳥肌モノである。だから、ユニフォーム選びは悩みに悩んだのだ。

 

そんな余談は置いておき、試合開始。試合は、神戸が崩すためにボールを動かし、鳥栖がブロックをつくりながら耐える展開。前半は、チャンスもあったもののお互いに点が入らずに0-0。

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そして後半、向こうサイドだったが、推しメンであるビジャが先制点にして、決勝点を叩き込む。谷口のミスとはいえ、集中して狙っていたこと、そして1対1での落ち着きは、ワールドクラスと言っても差し支えなかった。

ビジャにとっては、J初ゴール。その瞬間を、同じ空間で味わえたこと。とてつもなく幸せである。

また、イニエスタもワールドクラスの妙技を連発。圧倒的なボールタッチの柔らかさはもちろん、決してフィジカルではない、間合いと視野の広さで試合を創る。彼のプレーは、まさしく変態といえるものだった。

その後は神戸が終始ゲームをコントロールし、試合終了。スコア以上の差で、神戸が完勝したゲームだった。

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ワールドカップかな?と錯覚する豪華なメンツがピッチに集う様は、サッカーをはじめた20年近く前の自分を思い出させてくれた。あの時は、戦術がどうとか誰々の動きがどうとかじゃなく、純粋にテクニックを楽しんでいた。今日はまさに、そんな感じで童心に帰ることができた(特別に応援しているチームではないからそう思えるのだとも思う)。

 

高いお金を払って神戸牛を堪能し、サッカーを楽しむ。そんな最高の週末だった。今、帰りの新幹線でこれを書いているが、すぐにまた遠くへ行きたくなるような、そんな旅行だった。

 

今月は、スポーツをたくさん観戦する。来週はJ3を観戦し、その次の週はメジャーリーグの開幕戦、サッカー日本代表の試合を現地で観戦する予定になっている。せっかく時間を費やして行くのだ、どれも堪能したいものである。