新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

1週間経って。

とにかく激務な1週間だった。

2回目、3回目くらいの初任の気分になるような1週間だった。

 

これまでが、同じ環境すぎた。思えば、一度だけ異動はあったが、毎年支援級で同じようなスタートをきっていた。昨年度なんかは、子どもも知っている、支援級でのやり方も過ごし方もある程度見通しがもてる、分掌も特別に重くなっていないとあって、非常にのんびり新年度がスタートした記憶がある。おまけに、委員会や運動会の係活動では、非常に信頼できて色々頼っていた子も入ってくれていた。今考えると、大変なわけがなかった。

 

それに比べて、今年は何もかもが初めてである。はじめての普通級、当然進め方も考え方も違う(これまでの経験を生かせる場面も多いとはいえ)。分掌も新しくなり、新入生を迎える会を主導で進めもした。日々の授業は難しく、毎日6時間分の教材研究をすることがこんなに難しいとは!と頭を抱える1週間になった。

 

子どもたちは可愛い。そして、つまらないであろう未熟な授業を一生懸命受けてくれる。朝や休み時間にはたくさん話しかけてくれるし、助けようとしてくれている。

それだけに、期待に応えられていない自分を歯がゆく思うし、申し訳なく思う。先を見据えた学級経営にはほど遠く、現状ではその日その日を必死にこなすことで精一杯である。

 

ただ、間違いなく非常に良い経験にはなっている。これまで同じフィールドで戦っていた時には、自身の経験に胡座をかく場面も、正直に言えばあったと思う。

こうやって新しく何かをする時には自分も必死になるし、勉強するんだなと最近は感じている。刺激が多すぎる毎日だが、生きているという実感がある。

 

現状ではメリハリがやや弱く、このままだとマズイなという危機感もあり、怖くもあるが、自分の色を出しつつ、子どもの考えも大切に出来るように、日々頑張りたい。

自分用健忘録。学級開き準備。

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筆記用具レンタルショップ
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今年度の肝。ふりかえりジャーナル。f:id:naotos4728:20190407171521j:image

落し物の視覚化。
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自己紹介カードと、守ってほしいことの視覚化。
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感覚の違い、見え方の違いを示すために。
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心理学的アプローチから。ジョハリの窓で自己分析を。

 

明日から本格的にスタート。

教材研究を毎日やろう。各教科15分はほしい。

新年度。

昨日、始業式があった。

子どもたちの前で担任発表もあった。今年は、人生初の普通級。5年生を担任することになった。

 

もともと私の専門は、特別支援教育である。大学時代に真面目に勉強していたかは置いておき、サークルやボランティアを通して現場に触れる機会を、18歳の時からもらっている。また、この仕事をはじめてから4年間も、ずっと支援級の担任だった。

もともと、大学に進学した時から、「センセイになるなら特別支援だろうなあ」と思っていた。まだまだ知識も実力も不足しているものの、様々な経験をさせていただき、特別支援の魅力にもたくさん触れてきたと思う。区でもそこそこ経験豊富な方になり、様々な役割を任されたり、色々な人に相談されたりということもあった。居心地も、とても良かった。やはり生きる道は、これからもこのフィールドが中心になるのであろう。

 

しかし同時に、「いつか普通級の担任をしてみたい」という思いもあった。いざそうなった時に上手くいくかわからない、大失敗をするかもしれないという不安もどこかにあったが、日に日にその思いは強くなっていった。

 

私が普通級の担任をしてみたかった理由は二つある。一つは、以前記事にもした、大学2年時のアシスタントティーチャーの経験だ。4年3組の子たちと過ごした7年前のことを、今でも思い出すことがある。あんなクラスをいつか創ってみたいと、ずっと思っていた。

もう一つの理由は、特別支援における私の手札が底をつきつつあるということだ。この4年間、高学年を中心に、私のやれることは大抵やり尽くした感じがしている。勿論、子どもに応じてやり方が変わるため、同じ手札で勝負できることもあるだろう。しかし、性格的に、同じ生活の繰り返しだと、どうしても刺激や自分の学習意欲が薄れてくる。そのため、一旦違うフィールドで、普通級の視点も取り入れたいと感じるようになった。普通級の視点も支援級の視点も、この仕事をする上では大切なのだ。そいういう意味で、どちらの仕事も経験してみたいし、将来どっちのフィールドをメインとして戦うことになってもいいように、一度普通級の担任をしてみたかった。

だから、担任していた支援級の子を全員卒業させた時に、可能であれば新しい挑戦をしたいとずっと思っていた。今年度は、その希望が通った形になる。

 

昨日は珍しく、ガッチガチに緊張していた。足も震えていたし、入学式前の時間に何を話したかもよく覚えていない。ただ、入学式のリハで子どもたちの顔が硬かったのは間違いない。

故に、最初の指導は、「笑顔」だった。「1年生が不安にならないように、ニコニコしよう!」これを伝えたことだけははっきりと覚えている。そして、子どもたちも本番は、笑顔で頑張ってくれた。とても良い子たちだ。初日は、まずまずといったところだろうか。

 

これから1年間は、新しいことだらけだ。校務も、来週の1年生を迎える会の主担当からはじまり、運動会、宿泊学習、委員会、縦割り、区の一斉授業研究会、6年生を送る会と、担当するものが盛りだくさんだ。もしかしたら、音楽会で指揮を振ることもあるかもしれない。

そして何より、授業。教科書を読み込んだだけでも、量が多いし、4年に比べたら内容もずっと難しい。正直なところ、慣れるまでは目先のことでいっぱいいっぱいだと思うし、面白い授業!をできる自信はない。

それでも、一つ一つのことを丁寧に、自分なりに精一杯やっていくことは心がけたい。

まずは自分から笑顔で、個性を大切にして、子どもたちとはユーモアを交えつつ柔らかく向き合う。授業も、少しずつ上手になっていきたいと思う。

 

昨日、「一緒に、世界一のクラスをつくろう」と宣言した。

来年の3月に、全員が自分たちなりに「世界一のクラス」を感じられるように、誠意を込めて毎日を過ごしたいと思う。

いよいよ明日から。

今日で今年度が終わる。

良い思い出をたくさんもらった1年間だったし、間違いなく私の人生を変えた子達だったと思う。

 

しかし、明日からは、それはもう過去の話だ。

彼ら彼女らとの経験を、新しくはじまる生活に還元することが、あの子達への恩返しと言えるだろうか。

 

過去の思い出ばかりにいつまでも引き摺られる訳にはいかない。もちろん、時には振り返ることもあるだろうが、私達は基本的には「現在」を生きなければならない。

 

自分が今持っている力を新年度にしっかりと注ぎ、最高!を更新するような1年にしたい。

まずは明日。初めてのこと尽くしできっとビックリするくらい忙しいだろうが、1年の見通しをもてるように丁寧に取り組みたい。

 

 

1年間終了。

今年度も、無事に一年が終わった。

 

出るか残るかを考えに考えた昨年の3月と違い、今年度は年度末も穏やかだった。残って正解だったかについては、実は今でも疑問が残っているのだが、例年以上に穏やかな一年だったことは確かである。

3年連続で持ち上がりだった今年は、刺激という点ではこれまでで最も少なかった年である。年々担当する子が減り、仕事自体も特にやることは変わらない。マンネリ化するなという方が無理ではないか。

ただ、マンネリ化した日々を壊すのは子どもの成長であり、子どもの成長を受けての新しい取り組みであった。だから、飽きっぽい私が最後までやってこられたのは、ひとえに子どものおかけである。

 

来年度は、自分にとっては大きなターニングポイントになる気がしている。やったことのない仕事が目白押し、初モノのオンパレードである。今みたいにのらりくらりと仕事して、帰って一杯飲んで、動画を見たり音楽を聴いたりしながらまったり眠るなんていう日々は、あまりないのではないか。今日、簡単に年間の予定を立ててみたが、思ったことは、ただひたすらに激務じゃん...ということである。

 

ただ、怖いというよりは、楽しみでもある。激務ではあるが、やってみたいなと思っていた仕事の多くを担当することができるのだ。

好きなものや興味のあることをやる時は、いつだってワクワクするものだ。どちらかといえば失敗の方が多くなる一年になるだろうが、今後の礎になるように、一つ一つ丁寧にやっていきたいと思う。

一番楽しみなのは...ズバリ、運動会!卒業生も感動させるものを創ることができれば最高だ。

 

しかし、一年フル稼働で頑張るためには、かなりの気力と体力を使う。故に今週はしっかり休んで、充電したいと思う。

卒業式

3/19、卒業式があった。今年も卒業担任として、良き門出の日を共に過ごすことができた。

 

何度も書いてはいるが、今年の子たちは、3年間一緒だった子たちだった。故に、ずっと特別な感情を抱いていたことは否定できない。

今年に入ってから、ずっとずっとその日が来ることを恐れていた。おめでたいことなのだが、当たり前だった毎日がなくなってしまうことが怖かった。休み時間、給食、授業。1分、1時間、1日が終わると、複雑な気持ちになったのも確かだ。周りからも「今年は寂しいでしょ?」とか「式の日は絶対一番泣くよね」と散々冷やかされた。

それでも、式の練習をしたり、以前記事にもしたサプライズプレゼントをもらったりする中で、「前向きな気持ちで送り出さないとな」という気持ちになった。毎年毎年後ろ向きな気持ちで送り出していたが、そう、卒業はおめでたいことなのだ。まっすぐな気持ちで、温かく送り出すことが、彼ら彼女らへの恩返しになるんじゃないかと考え、自分なりに気持ちを整理していった。

 

そして迎えた当日。

制服や袴を着た子たちを、いつもと同じように外で出迎える。いつもと同じようで、いつもとは違う光景。朝出迎えるかは最後まで悩んだが、最後の日はしっかりと朝から最後までの光景を、目に刻んでおきたかった。

まず、式の前に、6年生を送る会がはじまる。昨年は涙涙の会だったが、今年はどちらかというと笑顔が溢れる会だったと思う。それは紛れもなく、あの子たちの明るさやパワーの賜物だったと言えるだろう。

 

そして、1時間後。

体育館の前に、我々は列んでいた。やや緊張気味の子どもたち。私はなるべく朗らかに、ニヤリと顔を見回して緊張をほぐしにかかる。そして、卒業生入場。交流級の担任、私と続き、その後ろを卒業生が歩いてくる。緊張した顔、ややニヤついた顔、早足、牛歩。色々な子がいたが、どの子もとても輝いて見えた。3年前の姿が重なり、大きくなったなと微かに実感していた。既にそこで、一回泣きそうになった。

式の中身でいえば、なんと言っても卒業証書授与と、門出の言葉だろう。

ただ、証書授与は、実はそんなに心配していなかった。どの子も練習通りに出来るだろうと思っていたし、うちの子も絶対大丈夫な自信があった。だから、呼名するまでは顔を一切見なかった。自分でやりきってほしかったからだ。そして名前を呼び、聞こえる「はい!」の声。まっすぐに歩く姿。とても立派だったと思う。その姿を見ていたら3年間の歩みが急に脳裏に浮かんできて、実は少し泣いた。

 

そして最後の、門出の言葉。これが一番心配であり、上手くいったら泣くなーと思っていたポイントだった。うちの子が最初のセリフをしっかりと言えるかがとにかく心配だったが、間も声量もあまりに完璧で、緊張の糸がプツリと切れてしまい、そこからずっと号泣だった。

雛壇に立つ一人一人の顔も、もう次のステージへ進める人の顔になっていたし、逞しく感じると共に、嬉しい気持ちでいっぱいになった。感動して泣いてはいたが。

本当に本当に、3年間一緒に夢を見られたこと、景色や思い出をを共有できたことを嬉しく思う1時間だった。

 

その後の写真撮影や謝恩会は...まあ、彼ら彼女ららしかった。とても楽しく、最後は明るい笑顔で送り出せたと思う。保護者の方にも、感謝感謝である。

 

昨日はお休みをもらったので、明日が式後最初の出勤日となる。実はまだ、学校に行ってもあの子たちがいない実感が湧いていない。

きっと朝、昇降口前に行って、いつもの景色が変わっているのを確認してから、急に実感が湧くのだと思う。ただ、寂しいとは思うが、後ろ向きな気持ちにはきっとならないと思う。

私は決めたのだ。後ろ向きにならないために、したいことを。

 

8年後、タイムカプセルを一緒に開けて大笑いした後、笑顔でこれまでの日々を語り合うのだ。

 

「TRY」の話

無事に、卒業式が終わった。

ただ、式のことは、明日ゆっくり書こうと思っている。まだ実感が湧かないからだ。自分の中で、ゆっくりと噛み砕いて消化していく必要がある。

今日は、6年の中でも特に印象深かった「TRY」について書きたいと思う。おそらく、後々消すことになる記事にもなると思うが、書いて消化ということで。

「TRY」とは、頭文字を3つ繋げたものである。サッカー界では、魅力的なユニットを選手の頭文字をとって単語で呼ぶことが多くなりつつある。MSN、MVP、BBC、VIPなどである。私にとってこの学年は全員最高の子たちで可愛くて仕方なかったのだが、その中でもTRYの3人は思い入れがある。

 

TRYのTは、3年間担任をした。600日以上同じ空気を吸い、色々なことを経験してきた。ここに赴任してから3年経つので、ずっと一緒だったわけだ。自他共に認める「阿吽の呼吸」でナイスコンビを組むことができたと思う。色々なところで「あの子すごい出来るよね」と褒めていただき、それはそれは大変嬉しかったのだが、そう思われるまで長い長い道のりだったし、日々の練習の成果だなと振り返れば思う。叱ることも沢山あったが、とにかく愛情を注ぎまくり(笑)、昨日無事に巣立っていった。最後まで本番に強くて、声も大きくパワフルな子だったと思う。特に今年は1対1というとんでもなく恵まれた環境で、じっくり個と向き合うことができた。個を見て、手立てを考えて、一緒に課題を乗り越える。彼はかなりマイペースだったが、同時に努力家だったから、最後は絶対に課題を乗り越えてくれた。国語も算数も、そうやって、一緒になって何かを考えたり、創り上げたりすることで教育の本質に触れられた気がしたし、そんな機会をくれたあの子に感謝の気持ちでいっぱいである。

(正直な話、ここから暫く彼ロスがありそうで、私は不安である)

 

TRYのRとYは、交流級の子である。この2人は、とにかく毎日めちゃくちゃ絡んできた。他の子もたくさん話しかけてくれたし、3年間楽しかったが、この2人のキャラクターは印象に残るものだった。一人一人だと特別強い個という感じはしないが、コンビになるとものすごい破壊力があった。同時に、宿泊の係や委員会では、所謂私の「右腕」として良い仕事をたくさんしてくれた。何かあれば、個人的に頼むのはこの2人が多かったように思う。とにかく信頼できるコンビだった。

Rは変顔とか謎のワードセンスでたくさん笑わせてくれた。緩急のついたコミュニケーションをとってくるため、時に反応に困ることもあったが(笑)、何をやってもセンスが良く、楽しみながらクオリティの高いことをたくさんしてくれた。あだ名も、この子のワードセンスから生まれたものがいくつかあるから、きっと忘れないだろうなと思う。

 

Yは1人だと、どちらかというと大人しめなイメージがあった。一年目は。ただ、慣れてくるとこっちの方が騒がしく?ギャーギャーと色々な話をしたと思う。この子は自分を前面に出してくるわけではないが、まわりを見て頑張れるので、縦割りや委員会、運動会ではかなり多くの場面で頼らせてもらった。出来ると思うから任せていたのだが、期待にいつも答えてくれて大変頼もしかった。

そして、何より努力家だった。水泳や縄跳びなど、やや運動が不得手な印象があったのだが、びっくりするくらい練習を一生懸命するので、結果的にはかなり出来るようになることが多かった。この子を見ていると、努力の大切さを改めて感じることが多かったように思う。

 

そんな、三者三様のTRYだったが、この子たちのおかげで本当に楽しい3年間だったと思う。

きっと、この3人は一生記憶のどこかにこびりつくことだろう。

何年か経った後、またいつか楽しくおしゃべりできたら嬉しい。