新米のtrance/forme

独り言です。心と体のバランスをとるために。

過去の話④ 仕事の話〜現在まで。

2015年。私は大学を卒業し、仕事をはじめた。

だから今年は4年目なのだが、4年にして既に複数の学校で働いた経験がある。

 

1年目は慌ただしかった。いわゆる最初の2ヶ月は、3年生のサポートTT (副担任的な存在だった)を担当し、その後支援級の担任となった。サポート時代は主に、算数の授業を担当し、それ以外の時間は2人目の先生として困っている子と一緒に学習した。算数の授業は2ヶ月だけだったが、かなり鍛えられた。以前の記事で書いたが、私は算数が苦手である。解くのは得意だが、教えるとなるとさっぱり。そんなわけで、放課後は専ら算数の授業づくりだった。

ただ、担任として放課後にする仕事がなく、算数以外では丸付けや印刷、畑の世話などが主な業務だったので、苦手なりに毎日しっかりと構成を練って授業に臨むことができた。いま考えてみれば、非常に恵まれた待遇であった。

 

2ヶ月後、支援級の担任となった。それから現在までこの仕事をしているが、はじめての担任ともあって、最初は流石に緊張したものだ。しかし、いま振り返ってみても毎日が本当に楽しく、刺激的であった。担任としての流れなどはさっぱり分からず、思いつくがままに猪突猛進。何度考えてもめちゃくちゃだったと思うが、めちゃくちゃ楽しかった。2年生の子二人がメインの担当だったが、国語や算数を通して子どもが目に見えて成長していくこと、毎日コントのような出来事が起きてみんなで大笑いしたことなどは、今でもいい思い出だ。

この年、思い出に残った出来事が二つある。

一つ目は、ラブレター大作戦である。ひらがなが苦手な子が、ラブレターを書きたいと言ってきたのである。私は、「ひらがなをマスターしたら手紙で気持ちを伝えるなんて簡単じゃん!」と冗談めいて返したのだが(半分は、ついにやるか!と思っていた)、なんとそこから1週間そこそこで、彼はひらがなをマスターしたのである。そしてそこからは、知らない間に手紙を渡し、返事をもらってくる日々。そうしているうちに、気持ちを伝える言葉の種類が豊かになり、またカタカナや漢字も少しであるが読み書きできるようになった。子どもの潜在能力の高さと、必要感や動機付けが学習には大事ということが体感的にわかった出来事である。

二つ目は、学習発表会だ。1年間学んだことを、制限時間内に詰め込もうというコンセプトではじめたものの、なかなか高学年と同じようにはできないことも多く、最初は頭を抱えたものだ。だが、暫くすると協力する姿勢が生まれ、上級生が下級生に教えたり、得意な子が苦手な子を手伝ったりする姿が生まれた。嬉しい変化だった。一つのことに向かう中で生まれる絆みたいなものを再確認した。結果は大成功。子どもたちは、なんと今でも当時のセリフを覚えてくれていて、いまでも出張先で出会ったりすると当時のセリフを言ってきたりする。こういうのが、この仕事の醍醐味じゃないかと思う。

 

しかし、そんな楽しい、幸せな日々はすぐに終わり、次の年の4月には新天地へ異動することになる。その新天地こそ、いま勤務している場所である。もう3年目も終わろうとしている今でこそすっかり馴染んだ感はあるが、4月当初はドン底といっても過言ではなかった。何せ、前任校では毎日が本当に楽しく、幸せで、満たされていたのだ。様々な事情が重なった結果とはいえ、異動が決まった時には自分の居場所が急になくなった気がした。

しかし、グチグチ言っていても、季節は廻る。4月頭から新しい生活がはじまり、新しい子どもたちと出会った。担当は、4年生と5年生の支援級担任。気持ちを切り替えて頑張らなければ、と思っていた。

しかし、新天地での挑戦は、予想以上に苦戦することとなる。最初はなかなか環境に馴染めず、精神的にどんどん下がっていくのが自分でもわかった。毎日のように前職場の方や友人に泣き言を言い、励ましたり慰めてもらったりしていた。夏頃には本当にムリだと思い、真面目に途中で投げ出して地元へ帰りたいと思ったこともあった。結局、10月頃にようやく馴染みはじめたものの、それまでは本当に毎日が苦しかった。

そんな中、自分の気持ちをギリギリのところで繋いでくれていたのは、ほかでもない子どもたちだった。2つの学年はカラーがまったく違ったから、毎回違う気分で頑張ることができた。特に4年は、交流級の担任と馬が合ったことや、子どもたちの人懐こさがハマり、この時期本当に助けてもらった。もちろん5年のパワフルさも自分には必要だった。この世界で生きる上で、いざという時に拠り所にすべきものは何かを学んだような気がした。

 

それから3年。すっかりと環境にも馴染み、気持ちの持ち方は全然違う。ただ、自分が担当している場所は当時からまったく変わっていない。昨年は、当時の5年を卒業生として送り出した。心からあたたかい気持ちで、穏やかに送り出すことができたと思う。尋常じゃないくらい寂しくなったが。

そして今年は、当時の4年生を送り出すこととなる。3年間ずっとかかわってきたこともあり、今の私の仕事の90%を彼らが占めているといっても過言ではないだろう。あと20日と少しでお別れなのは正直寂しいが、まだ時間は残されている。この子たちには本当にたくさんの景色を見させてもらったものだ。きっと残された時間で、まだまだたくさん面白い景色を見させてくれることだろう。